うちらの昔の師匠で、第一著者はそのプロジェクトを一番中心的に担当した人という事で、誰が見ても『まあ、そうだよな』というかんじだった。論文になる前に奨学金切れてラボを去らざるを得ないときは、後継者と第一著者共有のパタンもあったけど。
むしろそれよりも著者の選定そのものがシビアだった。初稿で9人くらい著者を並べたら途中で5人くらいになり最終的に3人になった。バンバン削ってた。入れるか入れないかでけっこう長く考えてた事もある。とりあえず手伝い的な協力者(うちら的にはふつうに著者でいいじゃないと思ったけど)は全部謝辞に回してた。労力よりも、要は本質的な部分で論文の結論を左右しうるほどの貢献をしたかどうかということらしい。(可能な限り、極力第一著者が自分で実験して結果出して初稿までは書き上げるという指導法だったけどね。)まあだれの論文でも公平にそうやってたし、お互い様なので別に仲間内で仲が悪くなる事はなかったけど。
日本の場合だけど、学位のないスタッフやプロジェクトが頓挫した院生などに論文の第一著者を譲ってあげることとかはあるのは知ってるよ。ただ、全く関わりない研究でなくて、たとえば3番目と1番目の人の入れ替えみたいなかんじでね。譲ってあげるのはたいていシニアの先生で当座は論文には困らない人だね。それもある種の教育的な配慮なのかな。
嫁の話は知らない。でももしそんなことしてたら、ついて行く人だんだんいなくなるだろうね。 |
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