この質問の内容だけでは実際がどういう状態なのかわからないので、
的外れかもしれませんが書いてみます。
後輩たち、研究室の方向性をいい方向に持っていこうという意欲、意気込みはとてもいいことだと思います。でも、指導はM1のあなたがするものではありません。研究室を主宰される教官の方々のお仕事でしょう。(書かれてる内容の一部は、ご両親がすべきことにも感じられます)言葉の使い方の問題だけれど、「指導」という言葉を一つか二つ年上の人間があなたに対して使ったら、どう感じますか?
部活と会社、研究室は似てはいますが、違うところも多々あります。
>自分としては、
>『@礼儀 A徳と背徳 B毅然 C抜くところ』
>↑を各々に自分らしく、解からせることだと思います。
礼儀は同意なんですが、それは態度で示すしかないですね。
あなた自身がそれを先生や先輩に「指導」されたら、どう感じますか?
毅然、や抜くところ、なんて人それぞれですよね。私の価値観、あなたの価値観がすべての人に当てはまるとはいいきれないと思うんです。誰かに指摘されるものではなく、自分でつかむものじゃないかしら、と。
日本と海外で研究・教育の現場に立って思うのは、個人の価値観(文化含む)の違いです。そして経験と失敗を重ねるうちに見る目、方針といったものが変わっていくのを実感します。学生さんと接していくことは、とても難しいですが、教えると同時にこちらも教わっていると実感します。
言葉の問題、といえばそれまでですが、「指導」という言葉から受ける印象である「上から目線」「立場や能力、人間性も上の人間が目下を指導」という姿勢をもしも持って(とって)いるのであれば、ちょっと危険な気がします。年齢の上下に限らず、ひらめきや才能、人間性を持っている人はたくさんいますよ。上から押し付けてはうまくいかないのではないでしょうか。
いろんな本、哲学もの、ビジネス物、読んでみてはいかがでしょうか。挨拶は、まずは続けてみませんか?大学の先生方でも挨拶なさらない方もいらっしゃるのは知っていますが、それはいやだ、と思うなら、まずはあなたから続けてみましょう。何か変わっていくかもしれませんよ。 |
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