学校の哲学の授業とかで習ったこと思い返すと、結果をから、そこに至る方法の是非を判断する文化が米国には根底にあるような気がするので、学生や同僚に対してかなり強引なえげつないことしても、結果的に良いジャーナルに載れば、そういうやり方もまあありかなということになるのかもしれない。またこれはさすがにちょっとと自制して、結果として良いジャーナルに載せられなかったら、そんな態度じゃダメということになるのかもしれない。その辺はうちらとは根本的な部分で相容れないものがあるかもしれない。みんなそうというわけではないけど。ガチで一流誌目指してて自分のすべきたくさんの実験を他の人に頼んでやらせて、それで結果が思い通りでないと普通に文句行ってくる人とかみたいにアグレッシブで鬱陶しい人はたまにいる。 |
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