最近はよく知らないけど、私の頃は、雰囲気的に、nonMDの場合は、指導教員は3年制ならD2年目末まで、4年制ならD3年目末までには少なくとも投稿までは持っていくようにしてた。なので、まだ途中でもう少し頑張りたいと思っても、とりあえずその時点で可能な範囲でどこかに1報を通そう、という感じだった。(場合によっては修士の仕事を拡充して早めに小さい論文を一つ書くとかそういうこともあった。)理由は、学位要件が確保できてないことには、ポスドクの就職先に押すにも押しようがないから(当たり前だけど先方も、学位が必要なポジションに学位が取れるかどうかまだわからない状態でOKは出せない訳で)と先生は言ってた。high impactとか、ここらで一つ大きな仕事を、とかそういう話はその次の段階で出てくる話だった。今振り返ると、院生を受け入れたならば、少なくともODにならないように標準年限内に学位を取らせること(+とりあえず贅沢言わなければ衣食住の生活できるくらいの給料がもらえて研究があと数年は続けられるようなところに送り込む)というのは指導教員の最低限の責務だったように思う。 |
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