>分生で山中先生が留学中と違って日本に帰ってきたら論文が全然通らないと言ってましたね。
Wikipediaを見る限りでは、山中先生が渡米されたのが1993年、帰国されたのが1996年。奈良先でPIになられたのは1999年12月。
留学中に出されたのが
1994: JBC
1995: PNAS
1996: JBC
で、帰国後、留学先のボスがラストオーサーで出した論文が
1997: GeneDev
(1998: ATVB、これは3rd authorだから余り関係ないと思われる)
2000: EMBO (山中先生がFirstかつコレスポ)
山中先生がファーストまたはラストの論文が
1998, 2000, 2001: Genomics
その後2003にMCB、Nature、Cellを出されてここから快進撃が始まる(という言い方で良かろうと思う。あるいは、論文の内容的には2000年のEMBOから?)。
別に悪い雑誌とは思わないが、Genomicsはimpact factorがそう高い雑誌でも無い。ここいらの投稿が、留学中にはアクセプトされていたJBCクラスに載らなかったことが、山中先生的に「日本に帰ってきたら論文が全然通らない」ということなのだろうか?
個人的には、内容的に妥当なところだと思う……。
>留学先のビッグラボで業績出したけど帰国後泣かずとばずの奴も多いでしょう
そりゃ、ボスの後追いをしているだけだったらそうなりますよね……その点、山中先生は学位論文の内容と、その後にノーベル賞を受賞されるにいたった論文の内容がかなり違い、PIとしてオリジナリティ溢れるレベルの高い仕事をされたところが本当に凄いと思います。 |
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