議論上のノーフェノタイプが本当にノーフェノタイプかは分かりませんよね。
実際の野生環境中では意味があっても、実験室で発見ができるかどうかは別の問題です。
私はcompensationという言葉は、"殆どの場合"解析不能な表現型に対する方便の一つだと思っています。
上で提示した、「表現型はあるけど発見できない」と言うのも方便に過ぎません。
つまり、解析されていなくて、自分が解析するつもりもないのなら言葉遊びでしか無いと……。
とは言え、パラログが同じ細胞に発現していたら、冗長性があるんではないかとは普通に思いますが……。 |
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