>そういえば英語できないけどノーベル賞もらった人もいます。本人は英語書いてないよね多分。
この人の場合は、一緒にノーベル賞貰った共同研究者が書いたんじゃなかったですか?別分野の話だから詳しくないので間違ってたらすいません。
法律的、倫理的な話は別として、論文は当然自分で書かないと作成スキルが上達しないのは間違い無いでしょう。ボスなり一緒に仕事をした同僚なりと、それぞれが下書きして後で見せ合うと、かなり違うものが出来上がるのを経験した人は多いと思います(そういう訓練受けたの私だけじゃないよね?)。同じデータを持っていても、
1) 掴みに使う最初の図の選択
2) そこからどういう順番でデータを見せていくか、どこを強調するか
3) 論文の最後(クライマックス)にはどれを持ってくるか
4) これらを上手に繋いでいく文章の構成
など、各人の特色がかなり出ます。論文でも「書は人なり」みたいのが出る訳です。特に最近はSupplementalを含めれば図が10以上もあるようなのが多いですから、選択肢が多いですし。で、やっぱりそこに出来上がりの優劣が生まれる訳です。分かり易いとか、最後まで興味を持って読み続けられる、とか。特に1)に関しては、そこが駄目ならreaderが離れていくんだからな、というのはよく言われてます(取り敢えず私がいるアメリカではそうです)。「優」なものを作れるようになるには、やはり自分で書く訓練をするしかない。
昔はどうかわらかないし、分野によっても違うのかもしれませんが、少なくとも自分の分野、バイオ系、医療系の論文では上記の話が当てはまります。ただデータをたくさん載せてどや?というのは今時は通用しないでしょう。だからこそ、英語そのものに問題の無い米国人でも、writing skill上達の為の講義を受けに行くのだし。
(なので、No.12377-20のLさんの話を聞いて、英語論文執筆までそんなシステムに組み入れるようになったらトップランナーで居続けることは難しいんじゃなかろうか?と思いました)
研究分野で生きていきたい人であれば、やっぱり自分自身の手で書くべきじゃないかなあ(最も、ここにレスしてる方々の殆どは自分で書くって言ってますね。素晴らしい)。 |
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