難しい問題ですね。現実的には、論文のエディターやレビューにアピールするために後から結論や目的を変えてよりそれっぽい形で論文にすることは普通に行われてると思います。結果ありきで後から前提データを取得してあたかもそれをFig1に持ってくるのはどうか?という話ですが、前提として学術論文は時系列で書く日記ではないので論理的に破綻してなければ問題ないという主張もあります。むしろ、うまく説明するためには、時系列ではなくて仮説ー結果の筋が通るように順番を変えろ、というでしょう。
こうしたやり方が不正か、わかりやすく説明するための論理構成か、は結局論文の価値や新規性がどこに依存すると考えるかにもよると思います。Fig1が出たことを”きっかけ”として考えてそれをさらに深く見たから結論がでた、という”研究の流れ”に学術的な価値を持つと考えるなら順番を偽ることは問題があるでしょう。なぜなら、そのような経緯での”発見”というストーリーに評価も与えられてるのに、そうでないことを偽って発表してるからです。
しかし、例えばあるノックアウトですでに結論が出ている状態で、その遺伝子が重要である(着目する根拠)として、あとからFig1でRNAseqなどを後付けでやった場合はどうか。問題あるという人もいるかもしれませんが、学術的には、RNAseqでアンバイアスなデータを踏まえた上でその特定の遺伝子でその現象を”説明する根拠”を客観的に示した、という点においては別に先だろうが後だろうが価値は変わらないという気がします。しかし、ノックアウトで着目した遺伝子を含む、重要そうだが動かないだろう遺伝子10個を後付けで恣意的に選んで、結局その遺伝子のみが候補に上がったというデータを後からつくったらどうか?この場合は、結果ありきで恣意的な情報を元にFig1を作ってるので、本来ならかなり胡散臭いことをやってると思います。でも、まあトップジャーナルのリビジョンでもそういうグレーな部分って正直結構あると思いますね。
現実的には、事実は事実なのでその経緯を知ったらリビジョンでクレームがつくことであっても、論文の査読システムの都合上その情報を査読側が知る由もなければ指摘しなければ通ってしまうというのが現実でしょう。そうなると、「いかにレビューワーに都合の悪い部分や曖昧な部分が突っ込まれないようにするか」という視点であの手この手やってるような側面もあるのですが。ノイズが含まれるバイオの研究において、容赦無く全て一貫するデータを期待され、また、論文のランクで競争させられる世界なのでクソ真面目にやればやるほど損するって気がせんでもないですがね。 |
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