比較するにあたって正確な数値が出ているかという不透明な部分を認めた上なら比較は可能だということだと思います。だからそれ以上でもそれ以下でもない。
たとえば人なんかの場合、それぞれの個体の遺伝的バックグランド、環境によるバックグランドが違うのに比較をしているわけです。この場合はある程度そろえれるところは揃えて(年齢、男女比)、あとは数で勝負するといった感じです。
顕微鏡で蛍光を見る場合、数は莫大に増やせませんが、ある程度は増やしたりできますのでうまくぶれそうな要因を均一化していると思えるような観察の仕方をして、データーとしていいと思います。これは冒頭に書きましたように不透明な部分を認めたうえでのデーターで、その認識の上で否定できるものではありません。
人(臨床)のデーターの比較で書きましたが、基礎の実験では蛍光顕微鏡ででた結果の裏付けをするような実験も組めることが多いので、そういう実験をデザインしてデーターを強化することになると思います。 |
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